北陸 – 温泉、飛騨の匠文化館など

公開: 2019/01/30
編集:2019/01/31

福井県 武生(たけふ) ➡︎ 富山県 庄川温泉 ➡︎ 岐阜県 奥飛騨温泉 ➡︎ 高山へ行ってきました。

1日目:
勤めていた会社で所属していた事業部の北陸方面総代理店が武生(たけふ、今は福井県越前市)にあって、そこの先代社長が亡くなられて10年になりました。
ずっとご命日にネットショップから花を贈っていましたが、ひと区切りという思いでお花を持参しました。

先代の奥様やご家族としばらくお話しして、お昼は、久しぶりに越前おろし蕎麦で有名な蕎麦屋森六(もりろく)へ行きました。仕事で福井方面へ行くたびに立ち寄っていたお店ですが、味は変わっていません。
暖簾がなければ通り過ぎてしまうような佇まいです。
  
越前おろし蕎麦というのは、ソバつゆに大根おろしを合わせて食べるものですが、ほとんどはブッカケと言って、写真のように蕎麦に辛味大根と鰹節を載せてダシをかけたものです。

辛味大根という名前の通り、キーンと涙が出そうに辛いことがあり、先代社長は辛いのがちょっと苦手だったのを思い出しました。
先代社長とは営業のやり方なんかで衝突したこともありますが、いろいろ教えていただくことが多く、行く度に美味しいものをご馳走になりました。

そこから北陸道砺波(となみ)インターまで走って、庄川(しょうがわ)温泉の宿へ。
東海北陸道荘川インター近くに荘川(しょうかわ)温泉というのがあるので混同されませんように。

成分の違う二つの源泉があるというのが自慢の三楽園という温泉宿で、行くのは3回目ですが、とてもいいところです。
武生からは2時間ほどで、ゆっくり温泉に浸かって夕食をいただきました。
食事は大部屋ですが、各テーブルが御簾のようなもので仕切られて
いて、寛げます。

2日目:
朝食後、旅館から20分くらいのところに関西電力の小牧ダムがあり、ダム湖の遊覧船に乗ってみました。旅館で乗船券を買うと半額です。

ダム湖の上流に船でしか行けない大牧温泉があります。

それにしても、この看板は新しくしたほうがいいと思いますが ..

 

 

船の乗り場と、船内の案内図
 

出発して振り向いて、乗り場の向こうに橋のように見えるのが小牧ダムの堰堤です。
下流側に関西電力の小牧発電所があるはずです。

上流に向かって行くと、すごく高い位置に橋があります。

橋を過ぎて、大牧発電所の先に大牧温泉の船着場があります。

大牧発電所は東側の高いところを流れている利賀川(とががわ)から取水して、庄川へ放流するそうです。


写真では分かりにくいですが、船着き場の階段に宿泊客がぎっしり並んでおられます。
タイのお客さんが60人だそうで、日本の方も含めて船は満員になり、大牧温泉旅館の前でUターンして戻ります。

遊覧船を降りて、飛騨古川の飛騨の匠文化館という、伝統的な木工技術の展示館へ行きました。ここも何回か来ていますが、千鳥格子や材木の継手などが手にとって見られるようにしてあり、面白いところです。
普通の格子なら単純に組めて分解もできますが、飛騨の千鳥格子というのはどうして組んだのか分からず(ある
資料によると250年も謎だったそうですが)、誰かが一部を壊して構造が分ったそうです。

普通の格子(下左)は縦横同じように、板厚の半分まで切り欠いた細い角材を組み合わせたもので、加工も組み立ても簡単です。
千鳥格子(下右)というのは、縦横の組み合わせが織物のようになったもので、分解ができません=どうして組んだのか謎

組み上げたものを見ると、誰でも、上右のように角材を加工してあると想像しますが、実際には下のように切り欠きを深く加工してあります。

寸法比率を適当に描いてあるので分かりにくいかも知れませんが、考え方は理解してもらえると思います。板厚の2/3まで切り欠いているようです。
切り欠き部の幅や間隔を飛騨の匠の卓越した技で加工してあるので、ピッタリ組み合わせて枠に嵌めれば中に隙間があるのは全く分からず、謎の格子が出来上がるわけです。
千鳥格子の大きな見本がありますが、長年たくさんの人が触っているためか、ガタガタになっていて、かえってよく分かります。

大工道具や木造家屋の精密模型など展示してありますが、材木を接合する継手(つぎて)というのが興味深いです(私だけ?) 。
飛騨の大工さんが、雪に閉ざされた冬場に囲炉裏端でいろんな工夫をしている姿を想像してしまいます。
余談ですが、私の生まれた家のお隣が大工さんで、作業場で材木の墨入れをしてほぞ穴を加工したり鉋をかけたりしているのを見て、建築のほうへ進みたいと思っていたこともありました。結局、機械屋になりましたが。

継手に話を戻すと、一見して分からない形の代表が四方鎌継(しほうかまつぎ)かと思います。似たような継ぎ手で表に見える形が違っても、考え方としては同じです。

角柱の4面に同じ形が見えていて(これもガタガタになっていますが)、どう加工したのかというと;
  
45度方向へずらすと、外れます。
こういうのを曲尺と鋸、鑿で作る技はすごいですね。

飛騨の匠文化館のそばに、福全寺跡の大イチョウがあります。
今は葉が落ちて枝だけですが、秋には黄金色に輝きます。
 

近くの蕎麦屋でお昼を食べて、今日の宿、奥飛騨温泉郷 新平湯温泉の甚九郎へ。

見かけは旅館ですが民宿で、部屋は風呂トイレ無しの昔のスタイルですが、温泉は内湯と露天風呂がそれぞれ男女別にあり、貸切露天がひとつあります。
部屋にはこだわらず、温泉があって食事が美味しければいいという方には、料金もリーゾナブルでお勧めです。ここで泊まるのは5回目でした。
駐車場は温泉を使ったロードヒーティングになっていて雪はありませんが、前の道路は圧雪状態でした。

3日目:
奥飛騨から高山市内までは40キロ余りの一般国道で、晴れていましたが路面は圧雪あるいはシャーベット状です。10キロくらい走ったところから大型バスを先頭にダンゴ状態になった集団に追いつき、バスから自分の車までの6台くらいが車間を十分に取らず、下り坂が多い道でブレーキ踏みまくりでした。
雪道で、なんでそんなにくっつく?
こちらはギアシフトするだけでタラタラ走って、ホテルへ車を預けて、酒蔵巡りへ。

酒蔵巡りは、毎年今頃に市内の六つの酒蔵が順にそれぞれ1週間くらい酒蔵の中を公開して、酒造りの工程の説明をしてもらってお酒を試飲させてもらえます。
各酒蔵で有料の試飲ができますが、当番の蔵では一杯だけ(量は少ないです!)無料になっています。

行った時には、二木酒造で酒蔵の公開をしていました。

山車(さんしゃ)というのは、酒蔵のひとつ原田酒造場の銘柄です。
午後早くは断続的に雪模様でしたが、夕方になると本降りになってきました。
 

ホテルは、街のほぼ中心部にある スパホテルアルピナ飛騨高山です。
最上階に温泉の内湯と展望風呂があっていいところですが、御多分に洩れず外国人観光客が多いです。市内も、ここはどこ?というくらいに外国語ばかり聞こえてました。

4日目:
宮川沿いの朝市で赤カブの酢漬け、酒蔵でお酒、などのお土産を購入し、古そうな喫茶店でお茶していたら、店内に面白い看板というか表示がありました。

たぶん、商い(=秋が無い) ますます(二升=升 升) 繁盛(五合=半升) と思います。
二六一一というのは皇紀(神武紀元)のことだと思い、店の人に昭和26年からですか?と聞いたら当たってました(昭和年数+2585=皇紀)。

ちなみに、昭和12年に12試艦戦として仕様書が示され同15年に制式採用された帝国海軍の艦上戦闘機は、皇紀2600年に当たるので零式(れいしき)艦上戦闘機と命名されました。
ゼロ戦というのはアメリカ軍がZero Fighterと呼んでいたためです。

昼過ぎに飛騨高山を出て、夕方帰宅しました。
総距離 約860Km、燃費 13.7Km/L

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