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四国、紫電改展示館

公開:2021/07/21

高知県・四万十川沿いの宿を目指して、結局四国をぐるっと回ってきました。

最初の宿は、Airbnbってどんなものか泊まってみようと思って予約しました。
名前が Tatami-Room in Shimanto Riverside Hideaway という英文だけでしたが、とても立派な日本家屋でした。
内部の設備は最新で、台所も広くてきれいで必要なものはすべて揃っています。
オーナーもとても親切でしたが、他にゲストは無く貸切状態でした。
ただ、個人的には、高瀬沈下橋を渡らないと行けないのが難点でした。

何年か前に四万十川の沈下橋を5,6ヶ所巡ったことがありますが、高所恐怖症なんで、すべて川岸まで行って見るだけでした。
沈下橋というのは、洪水対策で欄干とか手すりとか何も無いまっ平な橋です。
このときに高瀬沈下橋へも行きましたが国道から降りて行ったらすぐに橋で、手前の狭いところで何度も切返して戻った覚えがあります。

今回は国道から降りかけた所でそのことを思い出したんですが帰るわけにもいかず、決心してハンドルを握る手はガチガチで下半身がシビレながらトロトロと、たぶん10キロ以下で渡りました。
二泊したので4回渡りましたが、慣れるものではないです。
遊覧の屋形船でこの橋をくぐったときに、軽自動車が30キロは出てそうな感じで渡っていました。

四万十市街を抜けて宿毛(すくも)から柏島近くの海岸でシュノーケリングなどしましたが、柏島周りのダイビングスポットはよく知られているそうで、水がきれいでした。

近くへ来たらぜひ行きたいと思っていたのが紫電改展示館です。

愛媛県南部の北宇和郡・南宇和郡に展開する南予レクリエーション都市の一部で、小高い丘の上にあります。

展示されているのは太平洋戦争末期に編成された第343航空隊の紫電改で、昭和20年(1945)7月豊後水道上空の迎撃戦で未帰還となった6機のうちの1機だそうです。
33年後の昭和53年(1978)
11月に発見され、翌年7月に引き揚げられました。


プロペラ先端が後ろへ曲がっているのに機体骨格がそんなに傷んでいないことからうまく着水されたと思いますが、操縦士の方が救われなかったのはとても残念です。

紫電改(紫電21型)は、川西航空機(現在の新明和工業)が製作した水上戦闘機「強風」を陸上型にした紫電(11型)を大幅に改良した海軍の戦闘機です。

海軍機の型式は上位桁が機体、下位桁がエンジンの変更履歴で、制式登録時はどれも11型です。
ちなみに、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の終盤の主力機は52型で、機体は4回変更されていますがエンジンは1回だけです。

紫電/紫電改は、パイロットを守る防弾装備や燃料タンクの防弾・消火装置なども設計当初から備えていましたが時すでに遅く、紫電が約1,000機、紫電改が400機余り生産されて敗戦となりました。
生産数の少ない紫電改が有名なのは、戦争末期に歴戦のパイロットを集めた第343航空隊が日本本土空襲のアメリカ軍機迎撃に活躍したことや、ちばてつやさんの漫画「紫電改のタカ」の影響かと思います。
当時の陸海軍の戦闘機と比べて胴体が太く、独特の形状をしています。
機体に関してWikipediaが詳しいです。

手前に見える茶色いものは燃料タンクで、銃撃を受けても発火しないようにゴム製の防弾装備が施されています。

右翼の20mm機関砲とエンジン後方の推力式排気管

昭和20年2月ごろ松山基地で待機する紫電改群のジオラマ

当時の歴戦のパイロットといっても二十代で、日本を守るために若い命をかけられたことに心より感謝します。

戦争はダメです。
しかし、昨今のアジアと世界の情勢を見れば、平和を守って戦争にならないようにするには十分な軍事力で支えた強い外交力が必要です。
攻めてくるとえらい目に遭うよというのが、我が国の平和を守る抑止力です。
軍備に金
を使うのはなんともバカバカしい限りですが、それが悲しい現実です。


この後、道後温泉(本館は工事中)、高松城など、瀬戸内海側を回って結局4泊5日で帰りました。
高松城へは麓からロープウエイとリフトがあり、「武漢熱対策でできればリフトをご利用ください」と言われて乗りましたが生きた心地がせず、帰りはロープウエイにしました。

CarPlay:
ずっとAppleマップを使いましたがリルートも早く、AppleWatchがプルプルしてくれて問題はありません。
これで、高速道路のSAPAを表示してくれれば言うことはありません。
走行距離:1,170Km、
モバイル通信量:320MB

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上諏訪〜松本〜新平湯〜富山〜射水

公開: 2021/3/15

非常事態宣言で外出もママならず家に篭っていましたが、関西圏・中部圏が解除になって用心しつつ出かけました。

一日目:
予約した上諏訪温泉の宿に車を置いて、諏訪湖を眺めながら下諏訪へ。
晴天で暖かでしたが、遊覧船はまだ運行していませんでした。

下諏訪で遅めの昼食、鰻重にしました。
蓋をとったら上の重は鰻だけ、下の重を開けたらご飯だけが見えて???と思ったら鰻が挟まれていて、面白い組み合わせでした。

JR下諏訪駅からは歩いて、諏訪大社下社春宮(すわたいしゃ・しもしゃ・はるみや)から秋宮(あきみや)ぐるっと回ってみました。

春宮の手前の下馬橋。
殿様でも馬や駕籠をここで降りて参拝したそうです。説明板には御手洗川に架けた橋と書いてありましたが、それらしき川は見当たりません。

春宮の鳥居

秋宮の鳥居

いずれの宮も御柱(おんばしら)というモミの木の柱が立ててあります。
社殿正面左右の2本しか見えませんでしたが、社殿を囲む四隅にあるそうです。
御柱を山から切り出して運ぶのも一つのお祭りで、特に木落とし坂を下る(落ちる?)のが有名です。

二日目:
松本城は以前に来ましたが、天守閣へは登っていないので行ってみました。



城内の植木に雪吊りがしてありましたが、大きな輪に組んだ竹を支柱から等間隔に縄で水平に吊り下げ、車輪のスポークのように竹を入れて下のほうの枝を支えていました。
兼六園などはそれぞれの枝を直接吊っているので職人技の趣がありますが、雪質が違うんでしょうか?

お城をゆっくり見て回って開智学校へ立ち寄り、近くで信州そばをいただいて奥飛騨・新平湯温泉の宿へ向かいます。
158号線は途中何ヶ所か工事のため対面通行になっていて、多くのトンネルも暗くて狭く距離のわりに運転に疲れましたが、温泉郷手前で中部縦貫道・安房道路に入るとホッとしました。

新平湯温泉はいつもの甚九郎です。(写真は以前のを流用=山に雪あり)
緊急事態宣言解除直後のせいか貸切で、夕食も最後に出るはずの味噌汁やコーヒーゼリーがえらく早く出て来て笑ってしまいました。

温泉は男女別の内湯と露天風呂が三つあります。
以前は露天の一つが貸切用で他の二つが男女別だったんですが、お客さんが少ないせいか三つとも貸切できるようになっていました。

骨酒をいつもお願いしていますが、写真が拙くて電灯の映り込みで岩魚が見えない

部屋にはこだわらず、温泉があって食事が美味しければいいという方には料金も安くてお勧めです。

周りに全く雪はなく山の上の方が白く見える程度でしたが、やはり夜の冷え込みは厳しく車には霜が下りていました。

三日目:
JR富山駅近くの富岩(ふがん)運河環水公園へ。

ここに世界一美しい(?)スターバックスがあります。
運河を見渡す平家の建物ですが、リンクを見ると?が付いている理由がわかります。

風は冷たくても立山連峰が美しく見える晴天で、気持ちいいコーヒーブレイクでした。

ここから、射水市(いみずし)放生津町(ほうじょうずまち)内川の家 奈呉(ゲストハウス)へ向かいます。
この町はかって、江戸から明治にかけて北前船の寄港地で栄えた港町で、内川という内水路に沿って廻船問屋や番屋(ばんや、漁師の作業場)が建っていたそうです。

ゲストハウスへ泊まって、小舟寿司で富山のおいしい魚を食べてBRIDGE BARで楽しい酒を飲もうという寸法です。

翌朝はゲストハウスでもらったクーポンで近くのお店で干物などを買い、昔の番屋をリフォームした「番屋カフェ」でモーニングコーヒーをいただきました。

この辺りは2016年公開の映画「人生の約束」のロケ地になって、出演した西田敏行さんが番屋を見て「大道具方はすごいセットを作ったね〜」と感心されたそうです。

番屋カフェの2階には曳山の模型などが飾ってあり、お祭りの本番はかっての繁栄を忍ばせる豪華なものだそうです。

休みはあっという間に過ぎ去って、北陸道〜名神を通って帰宅。

Apple CarPlay + Apple Maps + Watch
CarPlayをずっと使いましたがアップルマップも問題なく、リルートがとても早いです。方向案内音声も「信号を左へ …」など分かりやすくなっています。
また、右折・左折など進路変更の手前でアップルウオッチがプルプルしてくれます。
モバイル通信のデータ量もとても少ないようですが、次の機会にリセットして測ってみます。
車の純正ナビは街乗りで常時表示しているだけになりました。

三泊四日で、総距離 900Km、燃費 約20Km/Liter
高速が多かったので燃費は良かったです。

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福光〜高岡 (富山県)

公開: 2020/2/4

昨年9月のチェコ旅行以来ブログ更新をサボっていましたが、富山の温泉へ行って高岡の街を歩いてきました。

往路に五箇山の合掌造り集落へ寄って行こうと、名神高速一宮JCTから東海北陸道へ入りましたが、どこにも雪が無い!

いつもなら、郡上八幡あたりからトンネルを抜ける毎に雪景色が広がってきますが、全く雪がありません。五箇山ICを出ても雪がなく、遠くの山の上の方がわずかに白くなっている状態で、ちょっと異常でした。
五箇山の相倉(あいのくら)合掌集落にも全く雪がなく、3年前の同時期(2017年1月)と比べるとまるで違います。
撮影ポイントは違いますが、下左が今回、右が3年前です。
 
3年前は、集落内のちょっとした坂道でも普通の靴では滑りまくって、アイゼンが必要かと思ったほどです。
前には雪で埋もれて気がつかなかった相倉地主神社に、今上陛下が皇太子の頃に五箇山で詠まれた歌碑がありました。

出発が遅かったので、この後は富山県南砺市のふくみつ華山温泉へ直行して一泊。

二日目は、旅館から富山湾へ向かい、氷見海岸の番屋街(氷見漁港場外市場)〜氷見漁港食堂〜まんがロード(光禅寺など)〜雨晴(あまはらし)海岸などを巡って、JR高岡駅前のホテルまで。

漫画家の藤子・F・不二雄さんが高岡の出身で、上の地図のまんがロードの商店街にはたくさんのキャラクターが置かれていて、近くの光禅寺というお寺の境内には主なキャラクターの立派な石像が飾られていました。
 

ホテルに車を預けて、市内の移動はトラムを利用しました。
昔の市電とは違ってカッコいい綺麗な車体で、ドラえもんをイメージした車体もあり、すれ違ったんですが写真が撮れず、高岡市の公式ホームページにあるのをお借りしました。
ドラえもんトラムの運行予定は万葉線(株)のホームページに載っています。

奈良・鎌倉と並び、日本三大仏の高岡大仏。
 

JR高岡駅前からトラム万葉線に乗って港側の終点近くに海洋丸という駅があり、航海訓練所の練習帆船であった海王丸が永久係留されている海洋丸パークがあります。
1989年に退役して海王丸Ⅱ世に後を譲ったそうで、10数年前の台風で座礁したのはⅡ世の方でした。

夜は、トラムの新町口駅で降りてちょっと食事をしてから、昨年12月に大阪のMBS毎日放送「住人十色」で放送されたブリッジバーへ行ってみました。
ハワイ生まれのアメリカ人で、町家を買い取ってバーと住まいにリノベーションした Stephen Knight (スティーブン・ナイト)さんがオーナーのとても素敵なとしか言いようがないバーでした。

いろいろお話ができて、とても楽しかったです。

今回は雪がなくて、土地の人には怒られるでしょうが、ちょっと残念でした。

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薬師寺東塔 修理現場

公開: 2019/04/29

薬師寺東塔は解体修理のため素屋根で覆われていますが、その内部を見学できるということで、10連休の最初の日に行ってきました。

今までも何回か見学できる機会があったみたいで、気付かなかったのが残念です。
10連休期間だけの公開で、あとは来年3月の落慶法要まで見ることはできません。

パンフレット:

内部見学はヘルメット着用で、写真の右手が素屋根内部への入り口です。

内部は東塔を取り巻いて斜路が組んであり、各層の周りを見ながら水煙が見えるところまで上がれます。平らな作業スペースへはどこも入れませんでした。

パンフレットに水煙が写っていますが、下のように現場では足場が組まれていました。3月に新旧の水煙が地上で公開されているので、パンフレットのは交換する前で、この写真はすでに交換された水煙と思います。

傷みの激しい部材は交換されたそうですが、良く見ないと分からないように着色(?)されています。

これだけのものが1300年前に造られ災害をくぐり抜けて建ち続けてきたこと、またそれを現代の技術で解体修理できるということに、なんとも言えない感動を覚えました。

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薬師寺 – 東塔の水煙

公開: 2019/3/6
修正:2019/3/8

薬師寺東塔の水煙(すいえん)が造り替えられたということで、見に行ってきました。
公開は3月10日(日)までで、白鳳伽藍の拝観料が必要です。


仏塔の上に突き出している金属製の装飾を相輪と言うそうで、透かしになった4枚の板状の鋳物が水煙です。

新たに作られたのは、水煙とその上下部分などで、水煙は擦管(さっかん)という円筒形の部品の四方に嵌め込まれているようです。

羽衣をなびかせて笛を吹いている飛天(24体)の姿を浮き彫りにしていて、透かしの多い薄い鋳物を造るのはとても難しかったと思います。

薬師寺のすぐ横が、近鉄・西ノ京駅です。

東塔を囲む素屋根
右手に見えるのは大講堂と金堂の一部で、西塔の相輪がわずかに見えています。

西塔

西塔は、最後の宮大工と呼ばれた西岡常一(にしおか つねかず)棟梁により、1981年に再建されました。西岡棟梁は法隆寺付きの宮大工ですが、薬師寺金堂の再建(1976年)もされています。
再建にあたって、建築関係の学者との大きな論争もあり、『樹齢千年の檜は千年持つ、鉄やコンクリートは持って数百年や』と現代工法を突っぱねた人です。

木材の乾燥収縮を見込んで東塔より約30cm高く作ったそうで、完成から40年近く経って丹塗りの色が落ち着いてきましたが、あと数百年経てば東塔のようになるのでしょうか?

お目当の水煙は人が多くて写真が撮りにくかったです。
一眼+でっかい望遠を持ったおじさんが割り込んできて、無理やりレンズを突き出すので、シャッターを切るタイミングでさりげなく(!)肩を当ててあげました。

1300年を経た水煙

飛天の拡大
新しいもの

1300年前のもの

2月26日のTV報道によると、富山県高岡の伝統工芸高岡銅器振興協同組合(長い!)が製造を引き受けて、原型製作から鋳造までを各社で行なったそうです。
高岡は仏像や置物などの鋳物関係で有名なところです。
こういうものはロストワックス法で作るかなと思ったんですが、実際は上下の型を合わせる一般的な方法で、また、合わせた型を立てて鋳造していました。

材質は、銅93%、錫(すず)2%、ヒ素2% という特殊な成分でした。一般に青銅というと錫がもっと多いです。鋳造温度は1250℃だったそうですが、ヒ素の毒性って飛んでしまうんでしょうか?
鋳造後、酸やアルカリの薬品で発色させてオリジナルの色に合わせているそうです。

東塔の上に載せられてしまえば、こんなに近くで見られるのは何年先でしょうか。
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北陸 – 温泉、飛騨の匠文化館など

公開: 2019/01/30
編集:2019/01/31

福井県 武生(たけふ) ➡︎ 富山県 庄川温泉 ➡︎ 岐阜県 奥飛騨温泉 ➡︎ 高山へ行ってきました。

1日目:
勤めていた会社で所属していた事業部の北陸方面総代理店が武生(たけふ、今は福井県越前市)にあって、そこの先代社長が亡くなられて10年になりました。
ずっとご命日にネットショップから花を贈っていましたが、ひと区切りという思いでお花を持参しました。

先代の奥様やご家族としばらくお話しして、お昼は、久しぶりに越前おろし蕎麦で有名な蕎麦屋森六(もりろく)へ行きました。仕事で福井方面へ行くたびに立ち寄っていたお店ですが、味は変わっていません。
暖簾がなければ通り過ぎてしまうような佇まいです。
  
越前おろし蕎麦というのは、ソバつゆに大根おろしを合わせて食べるものですが、ほとんどはブッカケと言って、写真のように蕎麦に辛味大根と鰹節を載せてダシをかけたものです。

辛味大根という名前の通り、キーンと涙が出そうに辛いことがあり、先代社長は辛いのがちょっと苦手だったのを思い出しました。
先代社長とは営業のやり方なんかで衝突したこともありますが、いろいろ教えていただくことが多く、行く度に美味しいものをご馳走になりました。

そこから北陸道砺波(となみ)インターまで走って、庄川(しょうがわ)温泉の宿へ。
東海北陸道荘川インター近くに荘川(しょうかわ)温泉というのがあるので混同されませんように。

成分の違う二つの源泉があるというのが自慢の三楽園という温泉宿で、行くのは3回目ですが、とてもいいところです。
武生からは2時間ほどで、ゆっくり温泉に浸かって夕食をいただきました。
食事は大部屋ですが、各テーブルが御簾のようなもので仕切られて
いて、寛げます。

2日目:
朝食後、旅館から20分くらいのところに関西電力の小牧ダムがあり、ダム湖の遊覧船に乗ってみました。旅館で乗船券を買うと半額です。

ダム湖の上流に船でしか行けない大牧温泉があります。

それにしても、この看板は新しくしたほうがいいと思いますが ..

 

 

船の乗り場と、船内の案内図
 

出発して振り向いて、乗り場の向こうに橋のように見えるのが小牧ダムの堰堤です。
下流側に関西電力の小牧発電所があるはずです。

上流に向かって行くと、すごく高い位置に橋があります。

橋を過ぎて、大牧発電所の先に大牧温泉の船着場があります。

大牧発電所は東側の高いところを流れている利賀川(とががわ)から取水して、庄川へ放流するそうです。


写真では分かりにくいですが、船着き場の階段に宿泊客がぎっしり並んでおられます。
タイのお客さんが60人だそうで、日本の方も含めて船は満員になり、大牧温泉旅館の前でUターンして戻ります。

遊覧船を降りて、飛騨古川の飛騨の匠文化館という、伝統的な木工技術の展示館へ行きました。ここも何回か来ていますが、千鳥格子や材木の継手などが手にとって見られるようにしてあり、面白いところです。
普通の格子なら単純に組めて分解もできますが、飛騨の千鳥格子というのはどうして組んだのか分からず(ある
資料によると250年も謎だったそうですが)、誰かが一部を壊して構造が分ったそうです。

普通の格子(下左)は縦横同じように、板厚の半分まで切り欠いた細い角材を組み合わせたもので、加工も組み立ても簡単です。
千鳥格子(下右)というのは、縦横の組み合わせが織物のようになったもので、分解ができません=どうして組んだのか謎

組み上げたものを見ると、誰でも、上右のように角材を加工してあると想像しますが、実際には下のように切り欠きを深く加工してあります。

寸法比率を適当に描いてあるので分かりにくいかも知れませんが、考え方は理解してもらえると思います。板厚の2/3まで切り欠いているようです。
切り欠き部の幅や間隔を飛騨の匠の卓越した技で加工してあるので、ピッタリ組み合わせて枠に嵌めれば中に隙間があるのは全く分からず、謎の格子が出来上がるわけです。
千鳥格子の大きな見本がありますが、長年たくさんの人が触っているためか、ガタガタになっていて、かえってよく分かります。

大工道具や木造家屋の精密模型など展示してありますが、材木を接合する継手(つぎて)というのが興味深いです(私だけ?) 。
飛騨の大工さんが、雪に閉ざされた冬場に囲炉裏端でいろんな工夫をしている姿を想像してしまいます。
余談ですが、私の生まれた家のお隣が大工さんで、作業場で材木の墨入れをしてほぞ穴を加工したり鉋をかけたりしているのを見て、建築のほうへ進みたいと思っていたこともありました。結局、機械屋になりましたが。

継手に話を戻すと、一見して分からない形の代表が四方鎌継(しほうかまつぎ)かと思います。似たような継ぎ手で表に見える形が違っても、考え方としては同じです。

角柱の4面に同じ形が見えていて(これもガタガタになっていますが)、どう加工したのかというと;
  
45度方向へずらすと、外れます。
こういうのを曲尺と鋸、鑿で作る技はすごいですね。

飛騨の匠文化館のそばに、福全寺跡の大イチョウがあります。
今は葉が落ちて枝だけですが、秋には黄金色に輝きます。
 

近くの蕎麦屋でお昼を食べて、今日の宿、奥飛騨温泉郷 新平湯温泉の甚九郎へ。

見かけは旅館ですが民宿で、部屋は風呂トイレ無しの昔のスタイルですが、温泉は内湯と露天風呂がそれぞれ男女別にあり、貸切露天がひとつあります。
部屋にはこだわらず、温泉があって食事が美味しければいいという方には、料金もリーゾナブルでお勧めです。ここで泊まるのは5回目でした。
駐車場は温泉を使ったロードヒーティングになっていて雪はありませんが、前の道路は圧雪状態でした。

3日目:
奥飛騨から高山市内までは40キロ余りの一般国道で、晴れていましたが路面は圧雪あるいはシャーベット状です。10キロくらい走ったところから大型バスを先頭にダンゴ状態になった集団に追いつき、バスから自分の車までの6台くらいが車間を十分に取らず、下り坂が多い道でブレーキ踏みまくりでした。
雪道で、なんでそんなにくっつく?
こちらはギアシフトするだけでタラタラ走って、ホテルへ車を預けて、酒蔵巡りへ。

酒蔵巡りは、毎年今頃に市内の六つの酒蔵が順にそれぞれ1週間くらい酒蔵の中を公開して、酒造りの工程の説明をしてもらってお酒を試飲させてもらえます。
各酒蔵で有料の試飲ができますが、当番の蔵では一杯だけ(量は少ないです!)無料になっています。

行った時には、二木酒造で酒蔵の公開をしていました。

山車(さんしゃ)というのは、酒蔵のひとつ原田酒造場の銘柄です。
午後早くは断続的に雪模様でしたが、夕方になると本降りになってきました。
 

ホテルは、街のほぼ中心部にある スパホテルアルピナ飛騨高山です。
最上階に温泉の内湯と展望風呂があっていいところですが、御多分に洩れず外国人観光客が多いです。市内も、ここはどこ?というくらいに外国語ばかり聞こえてました。

4日目:
宮川沿いの朝市で赤カブの酢漬け、酒蔵でお酒、などのお土産を購入し、古そうな喫茶店でお茶していたら、店内に面白い看板というか表示がありました。

たぶん、商い(=秋が無い) ますます(二升=升 升) 繁盛(五合=半升) と思います。
二六一一というのは皇紀(神武紀元)のことだと思い、店の人に昭和26年からですか?と聞いたら当たってました(昭和年数+2585=皇紀)。

ちなみに、昭和12年に12試艦戦として仕様書が示され同15年に制式採用された帝国海軍の艦上戦闘機は、皇紀2600年に当たるので零式(れいしき)艦上戦闘機と命名されました。
ゼロ戦というのはアメリカ軍がZero Fighterと呼んでいたためです。

昼過ぎに飛騨高山を出て、夕方帰宅しました。
総距離 約860Km、燃費 13.7Km/L

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うどん遍路 2018

編集: 2018/05/08

香川県の讃岐うどんの店を巡るうどん遍路に行ってきました。
ほぼ毎年行ってますが、今までは栗林公園や金毘羅さん、丸亀城などの観光地を回っていたので、うどん店は2日でせいぜい数軒というところです。
今回は文字通りの”うどん遍路”にして、今まで行けなかったお店を含めて10軒を予定しましたが、1軒が休みだったので実際には9軒です。
大阪から山陽道〜瀬戸大橋を渡って坂出で降り、ほぼ予讃線に沿う経路でうどん店を巡って高松市内ホテル泊、翌日は南寄りのコースで戻って坂出市内ホテル泊です。
3日目も午前中坂出近辺のお店へ行こうと思ってましたが、急用のため朝早くにホテルを出て帰ってきました。
渋滞にはほとんどかからず、全行程590Kmで燃費は12.6Km/L(高速は 約15Km/L)。

ちなみに、瀬戸大橋というのは岡山市と坂出市をつないでいる10ヶ所の橋の総称だそうで、本州と四国を結ぶ3ヶ所の橋群のうち唯一の鉄道も通る橋です。
よく写真で見る大きな吊り橋は北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋で、走る度にこんなものをよく作ったなと感心します。岡山側から最初の下津井瀬戸大橋も吊り橋で、ほかの橋は斜張橋やトラス橋です。詳しくはWikipediaなどで …

左が下津井瀬戸大橋、右が北備讃瀬戸大橋で橋脚がデカイです。
   

1日目:

① 日の出製麺所 (坂出市、今回初めて)
営業は11:30〜12:30の1時間で、11時過ぎに着いたらすでに40人くらい並んでいました。ネギはハサミで切ってくださ〜いと言われます。

② がもううどん (坂出市、必ず行くところ)
ここは外せませんが、後継者がいなくていずれ店を閉めるという噂を聞きました。

③ 山下うどん (坂出、2回目?)
定休日ではないはずですが、振替で休みでした、残念

④ 手打ちうどん山下 (高松市、初めて)

⑤ 宮武(みやたけ)うどん (高松市、2回目?)

2日目:

⑥ ひさ枝(ひさえだ) (高松市、初めて)
前日夜に高松のバーで教えてもらった比較的新しいお店、朝7時からやってます。
木材団地の倉庫を改装したとのことで、店内はとても広いです。

⑦ 池上(いけがみ)製麺所 (高松市、初めて)
“るみばあちゃん”で有名でしたが、今はお孫さんが経営されているそうです。
四国新聞社の資料写真は昔のお店だと思います。

⑧ 山越(やまごえ)うどん (丸亀市、何回か)
店内というか広い中庭にたくさんテーブルがあります。

ここはとんでもなく混んでいて、まさに長蛇の列!入り口まで1時間弱かかりました。
写真では単純な行列に見えますがジグザグに並んでいるので、一列にすると見えてる長さの5倍以上でしょう。お店の入り口は信号を左へ折れてさらに40mくらい先です。
帰る時には行列がさらに長くなってました。

⑨ 宮川製麺所 (高松市、2回目)

⑩ なかむら (丸亀市、何回か)

ダシ、麺の打ち方(コシ)などにそれぞれのお店の特徴がありますが、どのお店もとてもおいしいです。人類は麺類というキャッチコピー(日清食品?)を思い出しました。

行ってみようと思ったら、まず、四国新聞社の資料がいいと思います。
あとはネットで検索するといろいろ出てきます。例えば、丸亀市内で早朝からあいているうどん屋というようなページも見つかります。
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